塞翁が馬
祖父から三代続けての巨人ファンです。
彼は大学浪人したときの苦しかった1年間を忘れないようにと40を過ぎ、アメリカに渡った今でも背番号19を背負ってる。
小さいときはそのエピソードにピンと来なかったけど、今ならわかる。
僕の場合は23だ。
とにかくこの一年が長い。長すぎる。そして苦しい。
これから何ヶ月も自分で自分を卑下続ける日々が続くのだろう。
思えば人生で絶望するくらいの失敗をしたことがなかったから、
ここらでグチャっと自分の豆腐メンタルを潰しておいた方がいいのかもしれない。
もう1つ。自分に言い聞かせるとするなら、
塞翁が馬。
この5年間、楽しんだ。本当に楽しんだし、1つのことを僕なりに頑張った。
こうなることが予測出来なかった。でも、これが絶対に僕のベストの道だった。
絶対に後悔しない。自分を卑下することがあっても、どんな真っ黒な将来になっても。
終わり。
留年危機
留年危機だ。
詳しくは面倒くさいから言わないけど、簡単に言うと、
「君、院試の面接で研究者になるって言ったよね?何就活してんの?悪い子だね〜オシオキ〜」
ってこと。
自分でいうのも何だけど、
「オールSで授業料全額免除の奨学生」で未だかつて留年したヤツなんていないだろーな。
まだほんの少し希望があるけど、
留年確定したら即退学してやる。こんな大学院もうウンザリだ。
‥‥‥いや、
はあ。
疲れたけど、
やっぱりインターンやってると早く仕事というルーティーンの中に身を置きたいなって思っちゃう、な。
今僕が怖がってるのは、
何者でもない自分と、無限に与えられた時間。
「私以外私じゃないのー」的なことを考える段階にも行ってない自分の立場が怖い。
あ、
もうすぐ国分寺。
今日こそムサコで降りて寝るはずだったんだけど。
いざT's。
終わり。
SAKANAMONというバンドがとても良いという話。
そんなわけで僕のルーツは間違いなく日本語ロックなわけです。
ジャズを始めた頃は「ジャズは崇高で他に比べられない高度な音楽」だと宗教チックに勘違いして無理にロックを聞かなかった時期もあったけど、
20数年間、ド日本人の感性でド日本のロックやポップスに触れてきた僕が4年そこらジャズに触れただけで音楽性が180度変わるなんてことは勿論なく、
結局、今でもよく聞いてます、J-ROCK。
改めて僕は「日本語」が好きなんだろうなって思うし、
日本人の緻密に練られた泣きのコード進行が病みつきになってるんだろうとも思う。
そんな中、「SAKANAMON」ていう3ピースロックバンドにいまハマっている。
初めて知ったのは高校生の時で、
当時テレ朝でやってたティーンのロックバンドをフューチャーした「ストファイ」という番組で紹介されていた。
別に初めは特別好きという程ではなかった、カッコイイとは思ってたけど。
それが聞けば聞くうちに色々な発見があって、
それを自覚して聞くごとに、ドンドン好きになっていった。
例えばこれ↓
サビのコード(自信ない)
Cadd9→D7→Em7→G△7→
Am7→B7→Em7→G7→
Am7→D9→G7→Cadd9→C#dim
Am7→D7→G△7→G7
凄くシンプルなんだけど、一段ごとに表情が変わる。
1段目はポップスの王道進行。
2段目はマイナーのⅤ7→Ⅰをとりいれて、
3段目はメジャーツーファイブでC→C#の半音の動き。
よきかなあー
キーGはオープンコードが使えるので多くの男性ロックバンドの曲で使われてる。add9の圧倒的爽やか感はカポを使わない限りGしか出せないんじゃないかな‥
歌詞は正直難しい日本語だけど、ちゃんと意味があって沢山聞けば段々意味がわかってくる。
SAKANAMONの名前の由来は「聞く人の肴になりたい」というバンドのコンセプトによるものらしい。
まさに「肴」。聞けば聞くほど楽しいスルメ曲が本当多いと思う。
この曲とかも、サビの半音進行やサビ前のハーモニクス、テンポが半分になるところがとにかく気持ちよくて何回も聞いてしまう。
本当に緻密に計算されてるんだなあ。
サカナモン、楽しい。
終わり。
Jロック
音楽が好きになったのは高校時代からで。
高校時代は軽音部がなかったこともあって、高1から始めたベースを担いでライブハウスでちょこちょこと演奏させてもらってた。
そのとき一緒だった高校生バンド仲間や対バンさせてもらってた人たちは結構メジャーデビューしてたり、ロッキンに出てたりする
もう僕のことなんか覚えてないだろーけど、一緒の空間で演奏してた人が有名になるのは、なんとなく嬉しいものだ。
んで、高校時代にハマってたのは完全にJROCKで、特に「エモい」くて爽やかなロックが好きだった。
考えてみると、今ジャズが好きで、泣ける歌モノが特に好きなのもその頃培われた感性によるものだと思う。
その頃作った曲とかをたまーに聞いたりする。
音楽的にはヒドイもんだけど、懐かしいなーって思う。
あの頃、本当に楽しかった。
高校そっちのけで、ライブハウスに入り浸って、高校生同士でクサい言葉を沢山かけあって、でもそれが恥ずかしいとは思わなくて。
うん。
物凄く戻りたいとは思わないけど、あの頃受験もあったし。
まぁ高2の時に初めてライブハウスにでたときの僕は今ジャズででっかいバイオリンみたいを担いで都内を飛び回ってるなんて勿論想像してなかった。
不思議。
終わり。
メモ
・対人スキルはある方
・学生時代にジャズを通して、イベントを企画したり、各地に行って交友関係を広めた。
・旅行好き。大学時代に国内は、京都、大阪、神戸、長崎、広島、山口、名古屋、三重、奈良、福島、熊本へ。海外はフランス、イギリス、ニューヨークへ。
・大学院時代は学業に励み、今の所オールSの成績。
・地域活性、まちづくりに興味あり。
・現在は池袋にある寺院でアルバイト中。同時にソーシャルキャピタルとしての寺院についての研究中。
・大学院では、環境PRのための動画作成スキル、地方創生の事例研究、グラウンデッドセオリーを利用したインタビュー調査の技法などについて学ぶ。また、熊本県水俣市にも赴き、公害都市のまちづくりの現状についても学ぶ。
夢の話
自分は将来何をしたいんだろう。
あんまり深く考えたことがない。
そりゃあ子供の時は歴史が好きだったから歴史学者になりたかっし、ドラマの影響で検事にもなりたかった。
思い返すと、中学校のときに「夢」ってのが狂ったんじゃないかなと思う。
中学校のときの夢は確か医者。別に医者に特別なりたかったわけじゃなく、そのときの成績が良かったから。
志望校を落として、高校に入ったときにはもう医者の選択肢はなくて、
確か建築家になろうとしてた‥と思う。これも理系だから〜みたいな?よくわかんない。
で、次は教師。これはなんでだっけ。忘れたけど別になりたかったわけじゃない。
そしたら教育系の大学入って教師になる気は毛頭なくなって(父親への反抗)、そっからやりたいことなく適当に2、3年過ごした。
大学院に行ったのはほぼキマグレ。学生が続けたかっただけ。
‥‥そんで今。夢ってのは今の時点でも正直ない。
勿論、どうしてもやりたいものなんてものもないけど、一生続けていきたい趣味はできた。
ただ、「週5で全く興味ないタスクをこなすように働いて土日ジャズ。」みたいのは、僕には向いてなさそう。
だから、公務員と教師はやめた。
「公務員は別になりたくないし、教師は教育実習受けた時点では魅力的だったけど、今はただただブラック企業にしか見えない。」
‥‥ってのは建前で勉強して何かに受かるっていうのを当分やりたくないってのもある‥‥
まぁ、改めて自分がとことん甘いとは思うけど、試験に対する気力もないし、学力で他の人に勝てる気がしないし。
というのを自覚して、
改めて、
なりたいものがないってこの何カ月か痛感した。
じゃあ俺は何になるんだろう。
大学教授というのとアリかなって思ったこともあるけど、勇気も知識も意欲もない。
こんなスタンスで就活に挑んでいる。
でも一応、やりたいことはあんまり無いけど、自分をスキルを生かせる職場にいきたいとは漠然と思ってる。何かに没頭できるような‥‥
うーん。
甘い。全国のダメ就活生の典型みたいな。
まぁでも事実。22年間なんとかなってきてたってのが逆にネックなんだろう。
これからなんとかならなそうな予感しかしないけど‥‥
終わり。
大塚さんのライブに行ってきた。
はい。
いやあ、カッコよかった。
大塚さんに出会ったのは2年の時の4月にt'sのライブで。
田窪さん、二本松さん、そして大塚さんのトリオだった。
今思うと大変失礼だったけど、その場で弟子入りを志願した。
そのあと、何回かレッスンして貰ったり、僕が昔ブッキングスタッフをやってたお店でライブをして貰ったりした。
本当に本当にお世話になったのに、ライブにもロクにいかず、最近はレッスンもまともに入れられず、とても恩知らずな弟子だと思う。
それでも大塚さんは優しい。
普段はこんな聖人この世にいるのか!って思うくらい優しくてニコニコしてる。
でも演奏に入ったらキリッと表情が変わる。カッコイイ。
更にその中でも時折ニコッと破顔するときもある。
まさにギャップの中のギャップ。惚れてまうやろー(女性だったら)
演奏は‥‥‥僕なんかが語れるようなレベルではない。
でも、ひとつだけ言うなら、
見るたびに進化してる。
素人に毛が生えたような僕にもわかる。
本当に凄いことだと思う。トッププロが日を重ねるごとに進化することって想像以上に‥‥凄い。
もちろん今日のライブも本当に本当に本当にカッコよかった。
こんな人柄も演奏もカッコイイ大塚さん。
人として、ベーシストとして、どんな人生を歩んできたんだろうなぁ。
僕の中でなりたいけどなれない大人No.1。
色々落ち着いたら、またライブに通えるようにしよ。
終わり。